命
2012年 09月 24日
今日は産科と直接的には関係ない事を書きたいと思いました。
間接的には関係してますが。
子供の頃、家は農家で牛も飼っていました。
乳牛で乳を絞るためです。
これからという若牛が、足を挫いて4本足で歩けなくなってしまいました。
足を挫いた牛は、人間のように治療をする事がありません。
その先は“肉”になる運命が待っています。
肉に売られた牛を引き取りに、大きな車が来ました。
その車に載せようと、大人が必死で牛に繋いであるロープを引っ張っても牛は自分の運命を察知しているように、足を踏ん張って車に乗るまいと必死で抵抗していました。
その時の必死の“目”を自分は忘れる事が出来ません………。
お店で売られている“肉”を見た時、もうあの牛の気持ちは見えなくなっています。
又、小学生の時学校へ行く途中、車に轢かれたと思われる犬の側で、首をうなだれたもう一匹の犬が座っていました。
自分はこの犬も轢かれてしまうと思い、何と言ったか忘れてしまいましたが、犬の側に行って轢かれるから道路の脇に行くように言いました。
そうしたらその犬はトボトボトと、元気なく歩いて行きました。
この時の犬の顔と、その歩いて行った姿も忘れる事ができず、今でも覚えています………。
間接的には関係してますが。
子供の頃、家は農家で牛も飼っていました。
乳牛で乳を絞るためです。
これからという若牛が、足を挫いて4本足で歩けなくなってしまいました。
足を挫いた牛は、人間のように治療をする事がありません。
その先は“肉”になる運命が待っています。
肉に売られた牛を引き取りに、大きな車が来ました。
その車に載せようと、大人が必死で牛に繋いであるロープを引っ張っても牛は自分の運命を察知しているように、足を踏ん張って車に乗るまいと必死で抵抗していました。
その時の必死の“目”を自分は忘れる事が出来ません………。
お店で売られている“肉”を見た時、もうあの牛の気持ちは見えなくなっています。
又、小学生の時学校へ行く途中、車に轢かれたと思われる犬の側で、首をうなだれたもう一匹の犬が座っていました。
自分はこの犬も轢かれてしまうと思い、何と言ったか忘れてしまいましたが、犬の側に行って轢かれるから道路の脇に行くように言いました。
そうしたらその犬はトボトボトと、元気なく歩いて行きました。
この時の犬の顔と、その歩いて行った姿も忘れる事ができず、今でも覚えています………。
by osan03
| 2012-09-24 01:02